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枯淡の花

 

 田上菊舎の小説が自費出版されました。「枯淡の花 女芭蕉 田上菊舎物語」というタイトルで、下関市菊川町の中村 佑(たすく)さんの作品です。中村さんは菊舎顕彰会の会員で、顕彰会のホームページで「よそ見わき見気まま旅」のコーナーを担当されています。

 

 「よそ見わき見気まま旅」は、江戸時代に菊舎が旅したコースを実際に自分も辿って菊舎の足跡を写真とともに記載されています。今回は得意の写真とは別の才能を発揮されて菊舎の半生を小説化されました。

 

 自費出版で非売品ということで店頭販売はされていませんが、郵送料190円を同封して下記の住所に申し込めば送っていただけるということです。但し発行部数は300部なので申し込みは早めの方がいいかもしれません。

 

 菊舎の小説が出たということは、次はテレビのドラマ化か映画化ということになります。 監督は佐々部 清(「チルソクの夏」「四日間の奇蹟」「半落ち」などの作品)で、脚本は福田靖(「海猿」「竜馬伝」「HERO」「犯人に告ぐ」など)でいかかでしょうか。音楽は和田 薫(「ゲゲゲの鬼太郎」「金田一少年の事件簿」「犬夜叉」など)、主人公の菊舎役は藤田三保子か芳本美代子、すべて山口県出身者でまとめてみました。

 

 話が飛びましたので元にもどります。「枯淡の花」の申込先は下記の住所です。

 

  〒750-0314

  山口県下関市菊川町上田部342の1

   中村 佑        

  TEL 090 3630 4170

 

  送料は切手で190円分を同封のこと。

                                                                                       (平成30年7月13日)


 菊舎と一茶

 

 菊舎と同時代の俳人に小林一茶がいます。生まれは菊舎よりも十歳若く、菊舎の死後一、二年して一茶も亡くなっています。残念ながら二人に接点は無かったようです。最近読んだ本に長谷川 櫂の「俳句の誕生」(筑摩書房)がありますが、その中に一茶の章もあり、菊舎の「山門を出れば日本ぞ茶摘うた」の句も記載されています。

 

 芭蕉や蕪村までを古典主義とするならば、近代大衆俳句は一茶に始まるのではなかろうかとするものです。以下、長谷川 櫂の文章を引用します。

 

  古典主義時代、俳句をするのは古典の知識のある教養人たちだったが、

  近代大衆社会が出現すると、古典を知らない人々も俳句をするようになる。

  そうなると芭蕉のように古典を踏まえた俳句はもはや通用しなくなり、日常

  の言葉で俳句も詠まれるようになる。・・・

 

 「我と来て遊べや親のない雀」「痩蛙まけるな一茶是に有」などの日常的な言葉で卑近な自己の心中を詠んだ一茶の句は、庶民にとって受け入れやすいものだったのでしょう。私もまた一茶の多くの句に親近感を覚えます。

 

 さて菊舎ですが、「俳句の誕生」の中では一茶の前後の俳人の一人として登場します。再び長谷川 櫂の文章を引用します。

 

   「一茶の前後」は大衆化の進む俳句の近代を生きた俳人たちの句である。

   いいかえれば、彼らは一茶と同じ近代を生きながら一茶になれなかった人々

   である。なぜ彼らは一茶になれなかったかと問うてみなければならない。そ 

   の理由は彼らが依然として古典主義の幻影の中で生きていたからである。

 

 菊舎の句が古典主義の幻影から抜け切れていなかったとしても、江戸後期の封建社会の中で様々な学問を通じて自己を確立していった菊舎は、近代人の一人として興味のある対象ではなかろうかと思います。

                                (平成30年6月20日)


菊舎の旅姿

 

 菊舎の生涯は、俳諧の道を突き進む旅の生涯でもありました。旅に向かう彼女のフットワークの軽さは、江戸時代の女性としては目を瞠るものがあります。彼女の草鞋はまるで風で出来ていたかのように軽快に日本各地を旅してまわりました。彼女の心を旅に向かわせたものは一体何だったのでしょうか。

 

   「月を笠に着て遊ばゞや旅のそら」・・・旅への憧れ。

   「秋風に浮世の塵を払けり」・・・俗世間からの離脱。

 

 菊舎の心の中には偉大な先人が二人いました。松尾芭蕉と親鸞聖人です。菊舎の旅姿は笠と杖と頭陀袋とそして草鞋ですが、笠を親鸞聖人の御加護、杖を芭蕉への憧憬とみれば、筆や硯や通行手形の入った頭陀袋は菊舎自身の心とでも言えましょうか。

 

 そして一足の草鞋は、俳諧や茶道や七弦琴などの学問に対する菊舎の飽くなき探求心に例えることができるかもしれません。この旅姿で彼女は七十四年の生涯を終えるまで、おくのほそ道の逆の行程を辿ったり、江戸・京・大坂や九州各地を巡り、己が人生を全うしたのです。「無量寿の宝の山や錦時」、充分に生きた菊舎の辞世の句です。

                                 (平成30年6月19日)